ミニマル生活で頭をスッキリ(目標)

ミニマリスト目指し中。意識低い系。

何も持たなかった頃

 

 

今日もヘトヘトでございます…

 

最近、寒いですね

 特に日が沈んだ後の風が寒い

 

近年は、5月には猛暑だったのに

 

 

30年くらいむかしの春夏秋冬に戻った気がします

 

子供のころ、7月に「今日は29℃だよ!暑いねえ」

と親が言っていました

 

30℃を超すというのは、ニュースになるレベルだった気がする

 

東京の日中最高気温

http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/monthly_s3.php?prec_no=44&block_no=47662&year=&month=&day=&view=a2

 

思ったよりむかしは寒くなかった?

 

 

 

さて、むかしといえば

 

今日はものすごく昔のことを思い出しました

3-4歳かそれ以下の時のことです

 

まだ何も所有していなかった頃…

 

ものに対する執着を知らなかった頃

 

おもちゃと服は、はほぼ全部いとこからのお下がりで、時期がきたら次のいとこにあげることが決まっていました

 

何代も巡っていろんな人からの寄せ集めの子ども用品だったので

昭和40年代に買ったと思われる、化繊100%の吊りスカートとかがありました

ちびまる子ちゃんの着ているアレです

 

保育園のおもちゃは共有だし

所有物って言ったら、お道具箱の中の糊くらい

 

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おいしそうなにおいがするフエキのり

 

クレヨンでさえも、いとこからのお下がりがたくさんありました

 

 

その時のことを思い出したら、「何かを所有している」ということは、幸せとは全く関係ないんだなと、あらためて思いました

 

 

「所有」と、「幸せ」は、

本当に全く関係ないんですね…

 

思い出される小さい時の「幸せな感じ」は、

明るい光と、

畳のにおいと(小さくて地面に近かったからでしょうか)

おばあちゃんが踊るゆったりとした日本舞踊のレコードの音

休日に母がかける音楽

日に干したふとん

すごく寒い日の こたつ

近所のピアノの音、夕飯のにおい

夕方に来るお豆腐屋さん

ウールの毛布と、化繊の服と

石油ストーブのにおい

何時間も飽きずに裏紙に書き続けたお絵かき

薄暗い蛍光灯の明かりの商店で、買えるわけでもないお菓子をながめる楽しみ

 

 

実際に買えるものは少なくて、毎日「ごはんと味噌汁と魚と菜っぱ」ばっかり食べていた記憶があります

 

貧乏なのに私立の保育園に通っていました

だから貧乏だったのかも

保育園では茶道とかリズム体操とか、毎日いろんなことをやらせてもらえました

そっちにお金がかかっていたらしい

 

バブル前は、日用品や食料品以外に親がものを買っているのを、 ほとんど見たことがなかった

 

コンビニがないので、夕方に食材の買い物を済ませて、それっきりです

 

いいにつけ悪いにつけ、昭和を少し味わえてよかったです

  

4歳くらいまで、唯一の所有物といったら、親でした

親が他の子を可愛がっていると、ものすごく悲しい

 

それも妹が産まれて、諦めざるを得なかった

 

親が亡くなった時は、どうしたらよいのかわからなくて、だいぶ混乱しました

その執着も、いつの間にか手放しました

 

誰かをすごく好きという気持ちは、堪え難い苦しみのもとなんですね

 

20歳くらいまで、物欲はほとんどありませんでした

何を望んでも、自分には手に入らないから

 

物欲が爆発して苦しい思いをしたのは、大学に入ってからです

 

勉強だけしていればいい生活ではなくなったから

化粧したら、まわりの評価が全然違うことを知ったことと

まわりの女の子がみんなかわいい服を着ていることに、やっと気がついたから

 

でも手元には生活ギリギリのお金しかなく

がっつりバイトする暇も体力もなく

欲しくても買えない期間が10年くらい

 

勤めだして、やっと安定して比較的好きなようにものが買えるようになってから10年くらい

 

「好きなものを買えるようになったら幸せだろう」と思っていましたが

後から考えてみると、人生の充実度・幸せに、ものを所有しているかどうかは、関係なかった

 

今は欲しいと思えば買えるから、好きなものを追求して買っていますが、それができなくなっても、「幸せ度」にはたいして影響がない

 

欲しいと思うから苦しいのです

 

欲しい思いはどこから出てきたのか?

 

それは周りとの比較、

そして広告

買わせるために魅力的な姿をした商品

 

持っている人を見て「いいなあ」と思うこと

 

広告を見て「持てたら幸せだろうなあ」と思うこと

 

商品自体を見て「かわいいなあ、持てたら幸せだろうなあ」と思うこと

 

さんざん広告に踊らされて(踊らされるのがけっこう好きでしたし)いいなあと思って、手に入れてみた結果

 

必要な食糧と衣服、寝具、適当な住まいがあれば

ものを所有することは、幸せとは特に関係なかったことに気がつきました

 

便利ですけどね

かわいいし

美しいし

 

「快適さ」と「幸せ」って、思ったより比例しないみたいです

自分でこう書いていて驚きますが

 

なぜなら、快適さにはすぐ慣れてしまい、当たり前になってしまうから

 

逆に

「ないと不快」

「なくなると困る」

「買えなくなる生活になるのが不安」

という感じで、不安が増します

 

今の時代に「電気がなくなったらどうしよう」と不安になるのに似ています

 

快適さには、キリがないんですよね…

 

便利で快適になると、その状態がどんどん普通になっていく

 

いまは望めば買えるから、「どうせ買うなら」と、快適で美しいもの、好きなものを追求しますが

 

明日突然、津波で流され、火事ですべてなくなっても、また生きていけるように、と思いながら買っています

 

ものは絶対に永遠じゃないから、いつか必ず失います

 

たいていは、ものより先に自分が死んでしまう

わたしの周りで死んでいった人たちは、自分のものをなにも持たずに、この世から消えてしまった

死んだら、なにも持っていけません

 

必要な食糧と生活用品があれば、それ以上のものを持っていても、持っていなくても、幸せ度は同じ

 

必要以上の所有の中に、幸せはない

 

とすると、

例えば、自分の持っている好きなカバンや服が、なくなると困ります

 

生活に必要なので、かわりのものをまた買わないといけない

同じものを揃えるにはお金がかかる

安い予算で粗悪品を買うと、見た人が「貧乏くさい、野暮ったい格好だ」と気分が悪くなる

すぐに壊れて自分が困る

 

だから、自分の予算内で、質の良いものを買うようにしています

 

これは生活必需品だから、必要以上に所有するものとは話が別ですかね

 

必需品ではなく、

外見のバリエーションを増やす必要以上の服や靴、カバン、アクセサリー

 

生活を快適にすると宣伝されている便利グッズ

 

大きな家、大きくて高級な車

豪華なお風呂

便利で快適なマイホーム

 

そういうのは、所有した瞬間から「あって当たり前」になるので、快適ではあっても幸せとは別になります

 

快適であることと幸せは、別物なんですね…

いま気がつきました

 

 

と…

いうようなことを

自分のなかで咀嚼しています

 

自分がいちばんわかっていないからです

 

目の前に欲しいものがあると、買ってしまう

これがあったら幸せになれると、買う前は思ってしまう

 

でも買ってみると、

家の中にものが増えただけなのです

 

その繰り返しです

 

先日、去年買ったものの末路を辿ったら、愕然としました

 

ほとんど売るか、処分してしまっていました

 

食料品以外の買い物は、ほとんど無駄だったのです

 

去年買ったものの中には、今後10年以上愛用できそうなものがありますが

 

8割がたを手放しました

 

捨てることの前に

買うことに対してもう少し考えたほうがいい

 

痛い教訓です

 

 

 ものを買ったら幸せになれる?

「快適さと幸せは別もの」

と、これからは唱えることにします