ミニマル生活で頭をスッキリ(目標)

ミニマリスト目指し中。意識低い系。

こだわりを捨てる

断捨離ミニマリストから発展して

禅や仏教関係の本を読んでいるのですが

 

どうしても腑に落ちないことがいろいろあり

何度も読み返しています

 

「こだわりを一切捨てたところに、心の平穏がある」

 

というのが仏教の教えで

 

執着、愛着、好きなもの、

あると嬉しいもの、いると楽しい人

 

そういう存在が、裏を返せば

苦しみのもとだという説明です

 

そういう好ましいものが「あると嬉しい」ということは、裏を返すと「ないと苦しい」ということになるからです

 

大好きな人がいても、その人は100%完全に自分の思う通りに動くことはない

だから、誰が相手であっても、いつか必ず裏切られたと感じることが出てくる

 

大好きなものがあっても、100%完全に永遠に存在するとは限らない

だからその大好きなものが、いつかなくなって、自分が苦しむときが必ず来る

 

という考え方です

 

一般的には、素敵で、便利で、楽しくて、美しくて、大好きなもの・事・人は良い事とされています

 

それさえも仏教では、苦しみのもと、執着のもとだから、気をつけた方が良いと考える

 

 

仏教では、「好き」を追求して「嫌い」を遠ざける当たり前の行為そのものが、苦しみのもとだとしています

 

ミニマリスト

「究極に何もこだわらない派」

としてものと付き合う人と

 

「こだわり抜いたものだけと生活する派」

の2通りに大きく分けられると思います

 

私が目指していたのは

「こだわり抜いたものだけと生活する派」

ですが

 

それってつまり、

好きなものを追求して

嫌いなものをとことん排除していく

ということです

 

仏教的にはアウトってことでしょうか

 

不思議なことに

とことん好きなものを追求して

要らないものを排除して

自分の持ち物を減らしていったら、

なぜかだんだん何事にも執着心が薄くなって、

「何でもいい」

と思えるものの割合が、多くなってきました

 

要らないものを排除していく中で、好きなものに対する執着を捨てる訓練もしていたようです

 

「これがなくても生きていけるなら

これも実は要らないんじゃない?」

という感じに

 

こだわりを捨ててみると

確かに楽です

 

とってもラク

 

苦しみの原因は、自分の執着心だということが

身をもってわかる

 

自分のように、こだわりでがんじがらめになっている人間には、非常に役に立つ教えです

 

こだわりを捨てるって、こういう心の断捨離なんだなと思いました

 

ドミニック・ローホーさんも似たようなことを書いていました

 

「高価なものほど手放す」

と言っていたような…

 

大好きな掛け軸のコレクションを、いくつか手放したそうです

 

火事で燃えたらどうしよう

泥棒に盗られたらどうしよう

 

そういう心配から自由になれる

 

所有するって、こころの荷物になるんですよね

 

最近、

「良いものを長く使いたい」

という思いと

「なんでもいいから気楽に生きたい」

という思いが、ものを買おうとする時にせめぎあっています

 

「好き」なものを追求することの落とし穴は

自分の執着心の増強です

 

でも…

少ないもので暮らすからには、便利で美しくて大好きなものと暮らしたいですよねえ

 

仏教は、「好き」「嫌い」の仕組みのマイナス面しか見ていませんが

やっぱり好き嫌いって、生きていく上で必要なことだと思います

 

そもそも好き嫌いは、危険回避や遺伝子の繁栄のために必要だから存在するはず

 

全部否定したら、生きていけないのです

 

好き嫌いを全て否定するなら、「ゴ◯◯リ(ゴスロリではないですよ)が敷き詰められた部屋で寝られるなら、苦しみはない」とかいう話になってくる

耐えられたとしても、生き物としてストレスは確実に受けてしまう

なぜならそういう風にできているから

 

そよ風が吹き適温でふわふわの布団に包まれて寝るのと、

虫が下に敷き詰められてひどいニオイのする板の上で寝るのと

「苦しみが生じるのは、自分の好き嫌いのせい」

と言われても、

納得いかないですよね

生き物の体は一定の適した環境にいなければ、個体差が多少あってもストレスを受けるようにできているから

 

 

仏教ができた頃は、そういうのがまだわかっていなかったから、ストイックな理論になってしまったのかも

 

結局のところ、

物事の正しい道は、何かの理論に乗っかっているのではなく、「中庸(バランスをとる)」だと思っています

これは中学の時に教わったことがもとで、ずっとそう考えているのですが

西洋風哲学だと、結局派閥に分かれて、何が正しくてどうするべきなのか、さっぱりわからない

 

この世で絶対に正しいものと言ったら、ある程度のレベルの数学くらいしかない(つまり物理も)

 

それ以外の人間が作った理論で、絶対に正しいものなんてあったでしょうか?

 

結局のところ、仏教は東洋風だけどロジックは西洋風だと思います

突き詰めると何にもならない

全てに当てはまらない

正しくない場合が出てくる

 

東洋風に「中庸」がすべての答えになる

つまり、白か黒かでなく、バランスを取るのが大事だと思っています

 

 

仏教の良いとこどりをして、好き嫌いと執着心には適当なところでバランスを取る

 

たとえば

大好きなリネンに囲まれる生活を追求して、いざという時に支給の綿Tシャツで生きろと言われても、生きられるようにしておく

 

大好きな人と一緒にいて、好きだなーという思いをぼんやりもっておき、日々の生活で自分の期待と違う態度をとられても、まあそういうもんだと思っておく

 

少ない持ち物の全てが自分のお気に入りで、何年もかけて集めたものであっても、何かが原因ですべてのものを失った時は、ないなりに生活できるように、こころの準備をしておく

 

という感じで

落としどころを適当に作っておく

というのが、自分みたいな凡人には合ってる気がします

 

仏教の本を読んでいると

仏教の目指すところは、自分の生死さえもこだわらないところなんだなあ

と感じます

つまり自分が死ぬことさえこだわらない

 

生き物の最大の目的は、

自分が生きることと

自分の遺伝子を増やすことです

 

それに反することをすると、大きなストレスを受ける

逆に達成できれば大きな喜びになる

 

仏教は、そういうのを超越しちゃってるんですね…

 

どこまで参考にすべきか、迷うところです…